侍ジャパンの監督歴代【オリンピック】のメダルと順位と采配について

悲運の監督となった長嶋茂雄監督

野球の侍ジャパンの歴代のオリンピック監督についてご存知でしょうか?

これまで侍ジャパンの活躍に貢献してきた監督は数々いますが、オリンピックで獲得したメダルや順位とその采配などは詳しくは知らないという方は多くいらっしゃるでしょう。

そこで侍ジャパンの歴代のオリンピック監督についてそれぞれまとめてみました。

長嶋茂雄 監督(2004年アテネオリンピック)

 

2004年のアテネオリンピックに監督として挑んだのは
元プロ野球選手で現在はプロ野球指導者として活躍している元読売巨人軍の監督 長嶋茂雄さんです。

このときのチームは長嶋ジャパンとも言われています。

チョーさんやミスターといった愛称で親しまれている長嶋さんはプロ野球ファンには神様的な存在です。

長嶋ジャパンは2003年11月に行われたアジア選手権で中国、台湾、韓国に勝利して優勝、オリンピックの切符を手に入れます。

しかし、このアテネオリンピックを間近に控えた004年3月4日に予期もしないことが起こったのです。

過労からだったのでしょか、長嶋監督が脳梗塞のために倒れたのです。

なんとか一命はとりとめたものの、オリンピックまでの短期間での病状回復は不可能と判断

しかし、多くのファインからの希望もあり肩書きはそのままでしたが、長嶋さんがアテネで指揮を執ることありませんでした。

長嶋の代理としてヘッドコーチの中畑清がチームの指揮を執ったが、結果は3位に終わった。

中畑清中畑ヘッドコーチ⇒監督(2004年 アテネオリンピック銅メダル)

背番号33番の中畑監督の後ろには背番号3のユニフォームが

画像 参照元)https://bbcrix.com/articles/48208/original

代わりに指揮をとったのが、長嶋さんと同じ元読売巨人軍プロ野球選手で、引退後は、監督・コーチとして活躍し現在では野球解説者として活躍する中畑清氏です。

中畑清氏は日本テレビなどの野球解説者や評論家を経て1993年から巨人の監督に復帰した長嶋茂雄のもとで打撃コーチに就任します。

しかし、その後前年好調だった打撃陣がリーグ最下位となってしまったことから中畑清氏はコーチとしての評価は高くありませんでしたが、元巨人軍の先輩であり恩師でもある長嶋さんの後任は、短期的に浮かんでくるのは彼しかいなかったのかもしれません。

しかし、偉大な長嶋さんの後任は、プレッシャーが大きかったようです。

このアテネオリンピックは、準決勝でオーストラリアに敗れたため銅メダルでに終わるという結果になりました。

もしも長嶋茂雄氏が脳梗塞で倒れず、監督として指揮していたらどういう結果となっていたのでしょうか?

今となってはそれはわからないことですが、やはり長嶋さんの指揮を観たいと思った人は多かったに違いありません。

アテネオリンピックで銅メダルという結果に終わったことから中畑清氏は再び批判されることとなります。

果たして彼の野球には本当に問題があったのでしょうか。

長嶋茂雄さんの役割を短い期間で全うしようとした姿勢を責めるのはいささか不憫にも思えますが、結果が結果だけに致し方ないのかもしれませんね。

また、中畑清氏は最近では2017年11月23日に自ら試合に出場するということがありました。

横浜スタジアムが2020年東京五輪に向けて改修されることを記念した特別試合です。

この試合には中畑清は終始笑顔で取り組んでいたようです。

現在では野球解説者として活躍していますが、監督として彼が活躍する姿も見たかったですね。

星野仙一監督 2008年 北京オリンピック4位

画像参照元)https://full-count.jp/wp-content/uploads/2018/01/20180106_hoshino2.jpg

アテネ後、長嶋氏から「北京五輪では体調を取り戻し、今度こそ金メダルを取りたい」とメッセージがありましたが、半身麻痺と言語障害の回復状況から就任は難しい状況でした。

長嶋ジャパンから4年後の2008年に行われた北京オリンピックの監督は、元プロ野球選手で、引退後は監督や野球解説者として活躍していた星野仙一氏です。

星野仙一氏は、監督引退後も、仙ちゃん、仙さんといった愛称で親しまれていたが
しかし、残念なことに2018年1月4日に膵臓癌との闘病の末亡くなられています。

生前は監督しても熱血漢として知られており、指導のさいには鉄拳制裁も辞さないことも多々あった方です。

当時、星野氏はプロ野球協会に対して「リーグは選手出場の制限枠を撤廃すべき」とオリンピックに関する前向きな提言を行っていました。

そして、2007年に翌年の北京五輪に向けて星野監督の就任と
コーチ陣が発表されました。

投手コーチ大野豊氏(アテネ代表から引き続き)
打撃コーチ田淵幸一氏
守備走塁コーチ山本浩二氏

星野ジャパン WBC優勝がプレッシャーとなった?

2006年に初めて開催された野球のワールドカップともいえるメジャーリーガーを含めた初の世界大会WBCの監督には王貞治氏が就任し、その年の3月、王JAPANが優勝しました。

名実ともに日本は野球で世界の頂点に立つこととなります。

WBCで世界一に導いた王監督は、後任に道を譲るとして星野監督がオリンピックの監督に推薦されました。

このときのチームは星野ジャパンと呼ばれています。

星野ジャパンはアジア予選で全勝のため1位通過し本線への出場権を獲得しました。

しかし、勝ってあたり前、金メダルの期待が大きなプレッシャーとなったのでしょうか?

本線1次リーグの韓国戦での敗因の采配ミスや(和田毅投手の交代のタイミング)、準決勝での予選2度救援失敗の岩瀬の起用によるまさかの逆転負け。

3位決定戦では準決勝で2失策をした佐藤隆彦に「チャンスを与える」ための起用が裏目の逆転負け。
本線では準決勝と3位決定戦でともに敗退しメダル無しの4位という結果に終わってしまいました。

鉄拳制裁といわれる星野監督ですが、実は情厚く失敗したメンバーに対するチャンスを作って立ちなおらせるという情も人一倍だったと思います。

しかし、この情の厚さが結果的にはマイナスになりました

自身も「オレという人間の弱さがモロに出た」語っています。

なにはともあれこれまでの活躍と共にご冥福をお祈りしましょう。

まとめ 侍ジャパンの監督歴代【オリンピック】

オリンピック競技としての野球は1992年バルセロナオリンピックから正式種目となり5大会連続で実施されました。

アマチュア選手の参加しか認められていなかった1992年バルセロナオリンピック日本は銅メダルでした。

そしてプロ野球選手出場が認められた1996年アトランタオリンピックではプロとアマチュアの混成チームで日本は銀メダル。

2000年シドニーは野球を国技と位置づけるアメリカ合衆国やキューバに阻まれてメダルが取れませんでした。

その雪辱からオールプロ野球選手とプロ野球監督でメダル奪還に挑んだ2004年の長嶋ジャパン、2008年の星野ジャパンは残念がら3位(銅)と4位という結果になりました。

2008年最後に、2012年ロンドン、2016年リオ・オリンピックでは野球が競技種目からなくなりましたが、2020年東京オリンピックでは、開催都市提案の追加種目として実施されることになりました。

そして、その悲願の金メダルの夢は侍ジャパン稲葉監督に託されました。

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