TBS土曜☆ブレイク【世界!銅像になったニッポン人!ガーナで発見…死の村を救った英雄】
2018年8月25日 (土) 午後 2時00分〜
世界界の片隅になぜ日本人の銅像が!?
アフリカのガーナで野口英世を超える英雄と称えられる
『武辺寛則』さんについてのまとめました。
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Contents
ガーナの死の村を救った27歳 『武辺寛則』の偉業とは何だったのか?
アフリカのガーナには黄熱病の研究で有名な野口英世氏の記念館があり銅像も建てられています。
野口英世氏は日本ではお札になっているほど広く知られていますが
ガーナでは、その野口英世氏よりも有名な27歳の青年の像があるというのです。
その銅像になった人物の名前は『武辺寛則』さん
『武辺寛則』さんは
あの野口英世よりも有名な日本人として現地で語り継がれている人物です。
武辺寛則さんは青年海外協力隊(JOCV)の隊員として
長老になり貧しい村を救い27歳で亡くなった日本人だったのです。
武辺寛則 (たけべ ひろのり)
武辺寛則さんは長崎県出身で大学を卒業後に商社へ就職。
少年時代からの夢を叶えるため青年海外協力隊に参加します。
この時、年齢は25歳
務めていた商社も退職しました。
そして、青年海外協力隊として
西アフリカにあるガーナへ
赴任したところは首都のアクラから120km離れたアチュワ村という場所で
1986年12月でした。
武辺寛則 アチュワ村の「長老」に
アチュワ村はアフリカの秘境ともいわれる非常に貧しい村です。
武辺寛則さんは青年海外協力隊の
村落開発普及員として、アチュア村の人達とともに働き
その活躍と献身ぶりが村人に認められ村の「長老」に選ばれます。
武辺寛則 ガーナのアチュワ村での貢献は何?
最初に武辺寛則さんが力を入れて活動したのは『養鶏』でした。
しかし、アチュワ村の日々とは見知らぬ国から来た青年を全く信用してはくれなかったそうです。
次に彼が本格的に活動したのがパイナップルの栽培です。
今では、ガーナのパイナップルは特産品ともなっていますが
当時のアチュワ村では何人かが栽培していただけだったそうです。
ガーナのアチュワ村でパイナップルが栽培できない理由は何?
気候的にパイナップルの栽培に適しているガーナでなぜ
パイナップルの栽培をしている人は殆どいなかったのでしょうか?
パイナップルの苗は高額で
木を植えてから収穫までに2年はかかるそうです。
そんため貧しい村では栽培のための資金が無くなってしまい
パイナップルファームは成り立たなかったのです。
アチュワ村には伝統的な焼き畑農業しかありませんでした。
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パイナップル栽培でガーナの豊かさに貢献した武辺寛則
そこで、武辺寛則さんはパイナップルファーム拡大のための資金集めに奔走します。
彼は大使館に資金援助のお願いに行きますが、当然
が真っ先に行ったのが日本の大使館
しかし、日本の大使館に簡単に断られてしまいます。
事業化できるかどうかわからないもんい大金の援助は出来ない
という理由でしょう。
彼は20カ国の大使館を回ってやっと援助をしてくれる国を見つけます。
日本とは縁もゆかりもない他の国の大使館でした。
この時の武辺寛則さんは若干26歳
この武辺寛則さんの活動からわずか半年でパイナップル栽培の耕作面積は50倍に増えました。
そして現在は年に5,000㌧の収穫量を誇る村の特産品となったのです。
それから貧しい村にも
電気や水道も引かれ村の生活は向上しました。
武辺寛則さんが考えたパイナップル栽培がこの貧しい村を救ったのです。
武辺寛則さん27歳で亡くなった原因は?
しかし、なぜ27歳の若さで武辺寛則さんは亡くなったのでしょうか?
野口英世さんのように伝染病にかかったのでしうか?
武辺寛則さんの命を奪ったのは車での事故でした。
26歳ではじめたパイナップルの栽培事業の
念願の収穫まで半年を切ったある日のことでした。
急病の村人を病院まで運ぶようお願いをされた武辺寛則さんは運転していた車の事故で
帰らぬ人となったのです。
舗装もされていない道をパイナップル輸送用のトラックで病院まで急スピードで走って横転したのが
事故の原因でした。
すぐに病院へ搬送されたものの27歳で息を引き取ったそうです。
武辺寛則さん享年27歳でした。
『武辺寛則』ガーナの27歳日本人青年の銅像
元商社マンだった武辺寛則さん。
パイナップルの栽培と販売をビジネス化できた彼の才能は
遠い異国のガーナの人々からも称賛されました。
村人は彼の熱意と功績を忘れないようにと
パイナップルを高く掲げた武辺寛則さんの銅像を記念碑として村の中心に建てたのです。
土曜☆ブレイク【世界!銅像になったニッポン人!ガーナで発見…死の村を救った英雄】
2018年8月25日 (土) ごご 2時00分〜
ガーナで発見!死の村を命をかけて救った27歳青年の銅像…野口英世を超える英雄と称えられる彼が起こした奇跡の物語とは?
母に託した遺言…スタジオが号泣した生き様
ガーナの貧しい村の人たちの生活の豊かさを願い、短い時間を生き抜いた武辺さんの記録は本人が日本の
両親に向けて書いた手紙などに記録されています。
武辺寛則さんのガーナでの活動を描いた本が、日本で出版されています。
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